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2019/09/30 00:45

祈りの様な想いを 心の中で静かに持ち続けていると 
雲間がふっと現れたように 
時々向こう側から道が開かれてゆく事があります。

あっという間に9月も終盤を迎えました。
街路樹のプラタナスは葉を落としはじめて 眠りに入る準備のようです。

一つ物事を越える度に ご挨拶にとお邪魔している神明宮。
ですが色々な事にのみ込まれ身動きが出来なかった中 一昨日 ふっと雲間が現れたように向こう側から道が開けてきたので その流れに乗ってご挨拶へ。


駅から20分程の距離を 秋の虫たちの声が輪唱の様に行く先を繋いで 見えない道を作っていました。
音が光となって目に見えるなら それは透き通った月光に近い。
水の様に澄んだ音。暗闇に差しのべる道標。
調べると「アオマツムシ」という虫の鳴き声にとても似ていました。
まだまだ他にも 美しい音を響かせる虫たちは沢山いるようです。


ご挨拶の後 お腹が空いたので食料を買う為近くの店へ。
何故か普段自分では絶対に買わないものにばかり目が向く。

・・・もしかして上山神さまも空腹でいらっしゃる??

と不思議な感覚が降りてきました。。
なんとなく「喜んでいただけそうなもの」を感覚的に選び 近くの妹の家へ。


いつも以上にゆっくり食べながら ふと「神人共食」の事を思いました。


「神人共食」とは 日本に古くからある儀式で その年その土地で実った作物や酒などを神饌としてささげ 祈りの儀式の後 参加者達でそれらをいただくこと。これは「神に捧げたものを 共に飲み食べる事で 神により近づける力をいただける」という発想から生まれた行為だそうですが・・・
本来は「実りへの喜びと感謝」「神さまに喜んだいただく」(←いい言葉が見つかりませんが)といった人々の純粋な想いを伝える事だったのでは・・と私は想います。
それは奉納舞や神輿を担ぐ事とも通じていて 感謝の気持ちと共に 神さまにもお喜びいただけるよう 祈りを届ける儀式なのではと思います。


「想いを届けるには どうしたらよいのでしょう」


私の住む浅草では 神輿を担いで街中を練り歩く行事が年に数回あります。
(私は担いだ事はありませんが…笑)
浅草は商いの町で 商いの神様への感謝の気持ちと 今後の町の活性を祈って行われる行事。
調べると
神様の魂を神輿に乗せて 神様の威力を振りまきながら その町を清めてゆく」
とあります。
私は神輿を通して この土地の人々の想いを 高く天へと届ける事なんじゃないか とも思います。
賑わえば賑わうほど その声は天へと届きやすい。
アマテラスが天岩戸から顔を出したのも 外が何やらとても賑やかで 笑い声に包まれていたからで。。


神人共食に話を戻しますと
神さまに想いをお届けするには 食べ物をお供えし祈るだけではなく 食する人間の 実際に食べる行為の中にあるのでは・・と思いました。
米や豆の一粒一粒から得られた感覚的情報と そこに繋がる人の想いとが その人の感覚器官を通して天に届けられてゆくのではと。
神輿のような賑わいや華やかさは無いけれど 神さまは人間の感覚器官を通して それを味わわれ 受け取られるのではないかと…なんて。。

そうすると お仏壇に白飯や食べ物を御供えすることも同じかもしれません。
生きた人間が 食べ物に感謝して 味覚を堪能しながら その感覚や喜びを丁寧に扱ってゆくことで 上の世界の方々に届けられるのかもしれません。



と…
突然降りてきた感覚でしたが
上の方々に関わらず 大切な事と感じます。
「想いをお届けする」
「喜んでいただく」
その為の行為は 凡てに共通していることかもしれません。
上山神さまから教えていただいた「ギフト」でしょうか・・(*^^*)


帰路の中 どんどん都会へと近づくにつれて 美しい音は人間界の音にかき消されてゆきます。
でも昨日感じたことは


都会にいても 人間界の様々な音をかき分けてかき分けてゆくと 
月の雫のような美しい音色に出逢う事ができる。


でした。
きっと何処にいても 自然界への扉は存在しているから
ほんの少し意識のアンテナを伸ばすだけで 
世界はより鮮やかで繊細で そして奇跡に満ちている✬


お読みいただき ありがとうございます。