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2019/03/16 14:56

日中は春風が舞い込み 近所の桜並木では 
先日 大寒桜が早くも満開となりました。

撮影:2019/3/12 浅草

大寒桜は 花弁から散るのではなく 花首から落ちる。
ということを この時初めて気づきました。
椿の花と同じくして。
まだ散るには勿体無いくらい美しいのに 微笑んだままに散ってゆく大寒桜。
不思議と其処に寂しさはなく この後に続く花々へ  命を繋いでゆくかのように見えます。



 「桜」の木の元で 最近不思議な事が続いていました。
此処にはとても書ききれない 繊細な徴の連続が細い糸で繋がれてゆき
其処に 種を越えた様々な命の繋がりを感じました。
変わりゆくもの 変わらないもの
「桜」の木の元で その凡ては一つに繋がっているのではないかということを。

大切な事ってなんだろう。
社会の中で生きる事は 生きる上で無視できませんが でもそれだけではない。
この地を繋ぐ一つの生として 人間社会とは比較しきれない
もっと大きな(大切な)事があると直観しました。
常識だけで 物事の凡ては図れないということも。

これは貝と石の不思議なコラボレーション。
完全にくっついて剥がせません。

何処に居ても 視線がそちらへと向いてしまう。
見ているし聞いている。
まるで小さな神様が宿っているような。

この貝は いつどんな風にして形成されたのでしょうね。
宿主はいつ居なくなったのでしょう。また
居なくなってどのくらいの月日が経ったのでしょう。

遠くの海からやってくる風の音や
引いては押し寄せてくる波の音
小さな砂粒や潮の当たる音 雨の音 海鳥達の鳴き声・・
じっと耳を傾けてきたのでしょう。

刻々と変わる風景や時代の中で
いつまでも永遠に変わる事のないものが コトバを語りだす。


カタチが変わってしまっても
さくら色の貝は美しいままであるように
本質はきっと永遠に この地に揺らめいて 生を繋いでいるのでしょう。
桜の木と同じ様に。また 私達人間も その中の一部です。


『視る 聴く 感じる』


種を越えた小さなものたちが 伝えてくれたこと。
そして その沈黙の使者たちが 伝えようとしていることとは。